このページの先頭ですサイトメニューここから
このページの本文へ移動
サイトメニューここまで
サイトメニューここまで

本文ここから

地名の由来

更新日:2017年2月23日

 皆さんは、守谷の地名の由来(ゆらい)を知っていますか?
 地名の由来を知ることで、守谷の歴史や、その土地の昔の姿を知ることができます。
 守谷にはどんな地名があるのか、そしてそこにはどんな歴史(れきし)があるのか、ここで(さぐ)ってみましょう。

守谷の由来

 守谷という地名の由来には、いくつか(せつ)があります。
 日本武尊(やまとたけるのみこと)がこの地に来たとき、森林が果てしなく広がっている様子を見て、感動して「(もり)なる(かな)」と言ったそうです。漢訳(かんやく)すると「森哉(もりや)」となり、地名の由来であるといわれています。また、平将門(たいらのまさかど)がこの地を(きず)いたとき、(おか)が高く、谷が(ふか)かったので、(まも)るに(やす)(たに)であるということから、(まも)りやすい(たに)(てん)じて「守谷」となったともいわれています。
 ほかにもいくつか説があるので、調べてみましょう。

守谷市内の地名の由来

 市内にはどのような地名があるのでしょうか。また、自分の住んでいる地名には、どんな歴史(れきし)(かく)されているのでしょうか。

守谷市内の地名の由来
地 名 読 み 由          来
赤法花 あかぼっけ 平将門伝説の「赤法花」を見てみましょう。
足軽町 あしがるちょう  南守谷駅付近。土岐(とき)氏が守谷の領主(りょうしゅ)であったころ、土岐氏の足軽(あしがる)集団(しゅうだん)で住んでいた所であるといわれています。
愛宕 あたご 平将門伝説の「愛宕神社」を見てみましょう。
板戸井 いたどい 平将門伝説の「板戸井」を見てみましょう。
大柏 おおがしわ  同地区にある西光寺(さいこうじ)の山号、「大柏山(たいはくざん)」に由来するものと考えられます。
大木 おおき  大円寺(だいえんじ)にある大きなムクノキから名づけられたと言われています。
天然記念物 大円寺のムクノキを見てみましょう。
大山新田 おおやましんでん

 江戸市街の大半を焼き尽くした「明和(めいわ)大火(たいか)」のとき、幕府(ばくふ)はその復興(ふっこう)のため関東全域の大名に、木材を差し出すよう命じました。大山村を領地(りょうち)としていた田安(たやす)家でも幕府の要請(ようせい)(おう)じ、大山村の山林をすべて伐採(ばっさい)して江戸に運び、その跡地(あとち)新田(しんでん)開拓(かいたく)したそうです。それ以来(いらい)大山村を大山新田と呼ぶようになったと言われています。

乙子 おとご 平将門伝説の「隠し穴」を見てみましょう。
 また、万葉集(まんようしゅう)の歌人の犬養浄人(いぬかいのきよひと)が、末っ子を非常(ひじょう)にかわいがり、成人(せいじん)になっても心配(しんぱい)なため、近くのこの地に家を建てて生活させたそうです。昔の人は末っ子を乙子とも言ったとのことで、後に当地区を乙子と呼んだともいわれています。
九左衛門屋敷 くざえもんやしき  坂町(さかまち)清水(しみず)線と郷州(ごうしゅう)沼崎(ぬまさき)線の交差点(こうさてん)付近です。土岐(とき)氏の家老「井上九左衛門(いのうえくざえもん)」の屋敷(やしき)があった場所と伝えられています。
久保ケ丘 くぼがおか  以前にあった、…久保という小字(こあざ)名から名づけられました。
けやき台 けやきだい  けやきの木が多く、その土地のシンボルのような存在(そんざい)だったことから、名づけられました。
高野 こうや  この地の地形を、和歌山県の高野山に見立てて、平将門(たいらのまさかど)が名付けたという伝説があります。
御所ケ丘 ごしょがおか  以前は御所台と呼ばれていました。今から約430年前、一時古河(こが)公方(くぼう)足利義氏(あしかがよしうじ)をこの守谷へ迎え入れ、住まわせようとした「御所」があったといわれており、そこから名づけられたそうです。
小屋場 こやば  北守谷公民館近くの「小屋場樋管(こやばひかん)」付近です。江戸時代初期、鬼怒川の開削(かいさく)工事を行ったときに、工事関係者の小屋を建てた(あと)だということです。
小山 こやま  平将門(たいらのまさかど)の東国合戦の時に、老臣増田堅物(ますだけんもつ)(とりで)を構え、その地を古山と呼びました。それが、小山の地名の由来となっています。
新屋敷 しんやしき  足軽町のとなり。堀田(ほった)氏が領主(りょうしゅ)であったころ、新たに土地を(ひら)いて士族(しぞく)屋敷(やしき)にしたとのことです。
鈴塚 すずか 平将門伝説の「鈴塚」を見てみましょう。
 また、五十塚(いそづか)古墳群(こふんぐん)という古代遺跡がありました。五十とは、数が多くあることを意味おり、多くある塚があたかも鈴なりのように連なっているので、鈴塚という地名が生まれたとも考えられています。
立沢 たつざわ  『下総国(しもうさのくに)旧事考(くじこう)』によると、竜沢寺(りゅうたくじ)という寺の名前が元になったということです。
番場 ばんば  小林医院から守谷小学校前までの直線状の通りです。その昔、守谷城内の武士(ぶし)乗馬(じょうば)の練習をしたことから、”馬場(ばば)”と呼んでいたのが、いつの頃からか”ばんば”となまって呼ばれるようになりました。
松ケ丘 まつがおか  昔は松林が続く土地で、松ケ丘と呼ばれる団地があり、そこから名づけられました。
松並 まつなみ  松並木がその地のシンボルのような存在(そんざい)だったことから、名づけられました。
松前台 まつまえだい  以前にあった、松前という小字(こあざ)名から名づけられました。
薬師台 やくしだい  以前にあった、薬師堂(やくしどう)という小字(こあざ)名から名づけられました。

お問い合わせ

教育委員会生涯学習課
〒302-0198 茨城県守谷市大柏950番地の1
電話:0297-45-1111(代表)
ファクス:0297-45-5703

この担当課にメールを送る

本文ここまで