彫刻
更新日 令和6年1月23日
木造釈迦如来坐像
この木像は欅の一木造りで、作者は不明ですが、像容には関東における平安時代末期の定朝様の特色が見て取れます。
また、左足を外側にして結跏趺坐することから、当初は薬師如来であった可能性があります。
元禄2年(1689)、当時の領主であった一色直與が大修理をさせたことが像内に墨書されています。
なお、この仏像は享和3年(1803)7月1日からひと月の間、江戸浅草寺中の金蔵院に出開帳したことが「武江年表」に記載されています。

寅薬師如来
この仏像は、ヒノキの一木割矧造りで、室町時代の作と見られています。
明治維新後の廃仏毀釈によって、野木崎辺田前にあった瑠璃光山医王寺が廃され、本尊であったこの像が正安寺に合祀されました。
寅薬師如来の霊験は、特に眼病に効くと信仰され、「瑠璃水」という目薬を施薬することを許可されていましたが、現在は薬事法の改正により製薬されていません。
また、眼病の外、あらゆる病気までも治してくださるという薬師如来の教えから、第2次世界大戦以前までは埼玉県・群馬県、さらには千葉県銚子地方の沿岸から水運を利用して多くの参拝者が訪れました。
現在は12年に1回、寅年にのみご開帳されています。

阿弥陀如来坐像
西光寺の本堂に本尊として安置する阿弥陀如来は、来迎印の坐像です。50センチメートル程の象ですが、体躯の大きさや奥行きも均整がとれ、胸部や衣のひだが適度に写実的に表現されています。
特に正面の細かく流れるようなひだは技巧的に彫刻され、鎌倉時代の特徴を備えています。
これらのことから平安時代から鎌倉時代(13世紀後半)のものと推定されます。

阿弥陀如来立像
この立像は、肉髷を低く髪際を波形とし、両肩を被う法衣をまとって直立しています。
細く切れ長の両眼、大振りの衣文を表すのが特徴です。
これは、南北朝時代から室町時代初期(14世紀後半)の様式のものです。

聖徳太子立像
浄土宗の寺院では、中尊阿弥陀如来立像のほか、親鸞聖人等の画像を掲げることが一般的ですが、柄香炉を執る聖徳太子像(孝養像)を安置する寺院もあります。
この聖徳太子像も孝養像と同年令の童子像と推定されますが、笏のみを持つ形としていることが異形です。
鎌倉時代末から南北朝時代(14世紀)にかけての製作ではないかと推測されています。

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